食品産業辞典より『改定第9版案』 

 

●麩の定義

 「麩」とは小麦グルテンを主原料とする食品で、後述にある「生麩」と「焼麩」は、この小麦グルテンが自ら膨れようとする性質を利用して作られる。 この「グルテン」とは繊細な物であり、粘着性のあるグリアジンと弾力性のあるグルテニンという、主に2種類のタンパク質から出来ている。
小麦グルテンの精製には、タンパク質が豊富な小麦粉(強力粉)・塩・水が使用され、小麦粉に塩と水を加え、こねた生地を水で揉み洗いすると、でんぷん質が水と共に洗い流される。そこでタンパク質が抽出され、小麦グルテンが形成されることになる。

小麦グルテンは小麦粉中に6〜15%ほど含まれており、原料小麦の種類や品質、加水する量やこね方によって、抽出されるグルテンの量や粘弾性が異なる。ここで加水する量や捏ねが不十分であると、脆くて弱いグルテンが精製される。「グルテンは繊細である」といわれる理由はここにある。 そのため、麩の製造においては小麦グルテンの扱いが非常に重要になってくる。それは、グルテン製造業者において、麩に使用されるグルテンが通常のグルテンよりも加工工程数が多い事からもその特別さが伺える。特に、焼麩に使用されるグルテンはその膨張度が非常に重要であるが、通常のグルテンでは酵素や糖、でんぷん等の残存成分の影響で十分な膨張力が得られないと考えられている。従って、焼麩用のグルテンは通常の工程よりもさらに洗浄工程が多く設けられ、これらの残存成分を減少させるようである。

このように小麦グルテンの製造には多くの手間を要し、決して同質のグルテンを常に生産できるとは限らない。さらに麩の製造に至っては、このグルテンの質を日々見極め、常に一定の質を持った麩を作り出す事になる。そのため、自ずと麩の製造には高度な技術(多くは長年の経験や勘によって洗練されたものである)が必要とされ、麩は非常に繊細な食品であるといえる。


●麩の歴史

 麩の原形は、中国の「麪筋(メンチン)※」であると考えられる。この麪筋という食べ物も、小麦粉を水で練り、デンプンを水で洗い流した弾力性のある粘った物で、タンパク質(グルテン)のかたまりである。(※「麪」は小麦粉を一字で表した漢字であり、「麺」の漢字を使うのは誤りである。)
日本へ麪筋が伝来したのは、南北朝時代または室町時代という見方がある。これは、この時代に編纂された『節用集』などに「麪筋」と思われる文字が見られることから、そのように推測される。当時、多くの日本の仏僧達が中国へ留学しており、麪筋を蒸したものは、肉食禁断の仏僧の貴重なタンパク源であった事から、日本へもこの食文化が伝えられ、精進料理のような日本の食文化に反映されていったと見ることができる。

このような事から、伝来したしばらくの間、麪筋は寺院と宮中の中でのみ作られており、社寺が多く、御所のある京都を中心に発展していったようである。当時は、麪筋を大きな釜でゆで上げて食べられていた事が多く、他に煎麩(いりふ)、炙麩(あぶりふ)として用いられていたことが古書籍や古文書から伺う事ができる。寺院と宮中の中でのみ作られていた理由としては、当時の国産小麦の作付け数が少なく、「挽き割小麦」が高価であったためである。そのため、一般には口にする事が出来ず、宮中や僧堂で特別な時にのみ食され、麩は育まれていく事になる。
桃山時代に入ると、「ふのやき」と呼ばれるものが文献にも散見するようになる。この「ふのやき」は麪筋を焼いたもので、当時としては大変珍しい物とされており、料理としてではなく菓子として登場している。天正年間(1573〜1592年)に千利休が催した「天正茶会百席」には、菓子として「ふのやき」が多く供されていることが、当時の「茶会記」に記されている。

そして江戸時代、寺から門外不出であった麩が全国に広まっていく事となる。都が浪花と共に「上方」と呼ばれ、江戸と同様に情報の集積地であった事もあり、地方からの奉公人や見習い、総本山での修行僧が麩の製法をこの地で覚え、各々の郷に持ち帰り、その土地の気候や風土に合わせた製法が地域特色のある麩を作ることになる。
また、江戸時代の食に関する書物の中に「麩」に関する内容が見られる事からも、この時代に麩が庶民一般に広まったのは明らかである。寛政十二年(1800年)には、江戸幕府が西洋の小麦と、その生産法を手に入れ、試産し始め、さらに安政六年(1859年)には開港と共に初めて「精白小麦粉」が日本に輸入される事になる。これまで使用していた挽き割小麦は、色も黒く、水車で石臼を回して小麦を挽いていたため、粒子も粗く、精白小麦粉とは全く別物であった。従って、この時代を境に現代の麩への道が大きく開かれたといえる。
精白小麦粉が使用される明治時代に入ってからは、現在の焼麩が生産されるようになり、「すきやき」や「味噌汁」、「酢の物」などの材料に使用された事や、国内産の精白小麦も多量に生産できるようになった事から、急激に麩の需要は伸び、麩を扱う業者も全国的に増えた。

しかし昭和十六年(1941年)、第二次世界大戦の影響により、日本は食糧難に陥り、食糧管理法によって小麦の供給もなくなったため、麩の業者は休業や廃業を余儀なくされ、業界は停滞を迎える。小麦粉の統制が解除されたのは昭和二十七年(1952年)からである。 
戦前、麩の製造業者数は全国で推定1200軒ほどであったが、食生活の洋風化等によって、転業あるいは後継者問題での廃業などの結果、今日では200軒を下回るまで減り、未だ減少傾向が続いている。

 




●麩の製造法
上述にあるように、現代の麩は「生麩」と「焼麩」の2種類に大きく区分されている。
[生麩]
生麩は、焼麩よりも歴史が古く、麪筋が発展した形といえる。製造方法としては、まず小麦グルテンにもち粉を混ぜ、さらに用途に合わせてよもぎや青海苔、そば粉、粟などを加え柔らかく練り上げ、生地を作る。それを棹状の型に入れて蒸したり、平たくした生地に餡を包み入れて茹でるなどをして、「あわ麩・よもぎ麩・麩まんじゅう・すだれ麩」のような生麩が出来上がる。他にも、生地に色を付け、細工を施し、和菓子のような芸術性に富む生麩もある。これらは、よく料亭や寺院などで使用され、今もなお高い支持を得ており、無くてはならない食品となっている。
[焼麩]
焼麩であるが、こちらは江戸時代末期に作られ始めた。当時の焼麩の多くは、グルテンに小麦粉を加えて練り上げ、棒状に伸ばして平鉄板の上で焼き上げ輪切りにしたものである。その太さは用途に応じて異なり、太いものは「すきやき」に、細いものは「吸い物」に使用されている。焼麩は古くから保存性は高く、一般的に「麩」というと「焼麩」を指すことが多い。
焼麩の製造方法にはいくつか種類があり、それを以下に挙げる。
(1)直火焼
木または鉄製の棒に生地を巻き付け、直火の上で回転させながら焼く。(車麩、板麩)
(2)蒸し焼
大きな平面の釜に生地を伸ばし置き、水を打ちフタをして蒸し焼く。水蒸気によって、麩の表面が固くならずに、大きく膨らみ、柔らかい質感に焼きあがる。(切麩)
(3)型入焼
松茸や花などの細長い金型を作り、着色した生地を入れ、釜で焼き、裁断する。小形で色付きの焼麩ができる。(花麩、松茸麩)
(4)金型焼
四角形や半球状の金型に一粒ずつ生地を詰めて、火にかけて焼く。麩の表面が焼かれることから、外は固く、中は柔らかい仕上がりとなる。(丁子麩)
また、上記以外の製造方法で作られた麩として、油揚麩が挙げられる。





●麩製造業の現況
麩の製造業者の数は年々減少しているが、健康面や伝統食品の再評価、新たなニーズの潜在的可能性があり、決して将来は暗くない。しかし、食品業界を取り巻く環境は規制や法令の度重なる変更で、年々大きく変動している。
食品製造業として、食品の安全性を確保する事は重要であるため、自治体HACCP等の認証を取得する必要性が近年高まってきている。しかしながら、麩の製造は数値化できない職人の勘や経験に頼る面が多くある事から、決まりきったルールや基準などを設定した画一的な製造方法として確立する事が難しい。これは、グルテン及び小麦粉の品質等が常に均一なものでなく、製造する日の気温・湿度・水温にそれらが影響されやすい面がある事と、工程が同じ仕掛り品であっても「寝かせ時間」の程度等で麩に品質変化が起きる事もある。また、グルテンは熱が加わると自ら膨張する性質があり、その膨張の倍率は常に変化する。例えば、通常の膨張を10とすれば、6しか膨れなかったり、13〜14にまで大きくなる場合がある。そのため、製品を常に10に保つには、配合率の微調整や分刻みでの温度調整をしなければならない。
以上のような事から、安定した麩を製造・供給する上では、自治体HACCP等の認証取得のために作成されるマニュアルは、時に足かせになる場合がある事を考えねばならない。従って、数値等を用いた具体的な形で製造管理するシステムを展開させると同時に、職人の感覚的な技術をいかに現場で伝承するかは今後の大きな課題である。
また、原料となる小麦の調達についても、業界を揺るがす可能性が大いにあり不安視されている。我が国において小麦は輸入に頼る部分が大きく、世界的な食糧危機、政治的・経済的影響により今後も予期せぬ問題が発生する事は容易に予測される。
これらような解決すべき課題は多々あるものの、先人が考え、教え伝え残してくれた日本の伝統的な食品「麩」の伝統や技術は今も守られている。それと同時に、新たなる市場の開拓や、麩の調理法を発案、そのレシピ作成等による広報活動、そして麩に関する歴史などの啓蒙活動といったような、麩業界の存続とさらなる発展がなされるような取り組みが「協同組合 全国製麩工業会」を中心に行われている。「協同組合 全国製麩工業会」は、麩業界唯一の全国的組織であるが、その加入業者は1986年には258社あったものの、2013年においては94社となっている。これは麩の製造が、商品開発や数値化した製造管理システムなどに応えられる企業に集約化され、家内工業による生業的業者が減少しているためである。

 



 

 


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